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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)45号 判決

大阪府大阪市北区堂島浜一丁目2番6号

原告

旭化成工業株式会社

代表者代表取締役

弓倉礼一

訴訟代理人弁理士

佐藤辰男

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

指定代理人

高橋詔男

市川信郷

土屋良弘

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成2年審判第1547号事件について、平成2年12月5日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年5月11日、名称を「非反射性フオトマスク・レチクル用防塵カバー体及びその製造方法」とする発明につき特許出願をし(昭和59年特許願第92992号)、昭和63年5月12日出願公告(特公昭63-22576号、その公報を以下「本件公告公報」という。)がなされたが、訴外三井石油化学工業株式会社から特許異議申立てがあり、平成元年10月16日に拒絶査定を受けたので、平成2年2月21日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第1547号事件として審理したうえ、同年12月5日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成3年2月14日、原告に送達された。

2  本願第1発明の要旨

本願は三つの発明からなり、その一つである平成2年3月23日付け手続補正書によって補正された明細書の特許請求の範囲第1項に記載された発明(以下「本願第1発明」という。)の要旨は、以下のとおりである。

「少なくとも、厚み1~10μmのニトロセルロース層が芯部をなし、厚み0.05~0.5μmで屈折率が1.42以下で反射防止すべき波長350~450nmの光を吸収・散乱しないシリコンポリマー、弗素系ポリマーの最外側反射防止層が両最外側に配設される多層膜を要部とし、その周囲が支持枠に固着されてなる非反射性フオトマスク・レチクル用防塵カバー体。」

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願第1発明は、「SEMICONDUCTOR INTERNATION-AL(AUGUST 1981)」p97-106(以下「引用例1」という。)及び特開昭58-46301号公報(以下「引用例2」という。)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定に該当し、特許を受けることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願第1発明の要旨、引用例1、2の記載事項の各認定は、引用例2の実施例11で反射防止層としての第2層が「シリコン系ポリマ」よりなるとされているとの認定のみを争い、その余を認める。本願第1発明と引用例1記載の審決認定の発明(以下「引用例発明1」という。)との比較のうち、一致点の認定は争う。相違点の認定を認める。相違点(1)についての判断は争い、同(2)、(3)についての判断は認める。本願第1発明の効果についての認定は争う。

審決は、引用例1の記載内容を誤認した結果、本願第1発明と引用例発明1の一致点の認定を誤り(取消事由1)、引用例2の記載内容を誤認した結果、相違点(1)についての判断を誤り(取消事由2)、本願第1発明の予測できない効果を看過し(取消事由3)、その結果、誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(一致点の認定の誤り)

(1)  審決は、審決認定の引用例1の記載事項(審決書3頁4~13行)を根拠に、「この記載は、ニトロセルロース薄膜の両面にMgF2のような膜を配設し反射防止を計る技術を開示するもの」(同3頁17~19行)とし、「してみると引用例1には、フォトマスク防塵カバー体において、・・・ニトロセルロース薄膜の両面にMgF2のような膜を配設し、反射防止を計る技術が記載されているものと認められる」(同3頁20行~4頁4行)と認定しているが、誤りであり、したがって、これを前提とした一致点の認定もまた誤りである。

引用例1の記載中、上記に関する記載は、「干渉」の項の、

「波長全体にわたる透過率と干渉効果を改良するために、MgF2のようなARコーティングが使われている。薄いペリクル膜の片面あるいは両面にこのようなコーティングを施すことは難しく、透過率において数パーセントの改良が限界である。他の考慮すべき要因は、コストが増すことと、コーティングや膜の劣化によって早く使えなくなることである。

好ましい解決法は、露光スペクトルにわたって干渉効果を平均化するようなペリクルの膜厚を選ぶことである。」(甲第3号証訳文4頁下から4行~5頁2行)しかないが、この記載から明らかなように、引用例1では、AR(抗反射性)コーティングには、技術的に困難であること、透過率は数パーセント改良できるだけであること、コストが増すこと、コーティングや膜の劣化によって早く使えなくなること、という致命的欠陥があるため、この方法を採用するよりも膜厚の制御を選ぶべきことを、専ら教示しているのである。

このような引用例1の記載を全体として見た場合、その一部にMgF2のようなコーティングの技術が記載されていたとしても、これに接する当業者が「ニトロセルロース薄膜の両面にMgF2のような膜を配設し反射防止を計る技術」を用いようと考えることはありえないというべきであるから、これをもって、上記技術を開示するものとみるべきではなく、そのようにみられるとした審決の認定は誤りといわなければならない。

(2)  仮に、引用例1の上記記載をもって、上記技術を開示するものとみることができるとしても、審決の行った「引用例1記載のMgF2の屈折率は約1.38であるから、本願第1発明と引用例1記載の発明は、・・・屈折率1.42以下の反射防止効果のある最外側反射防止層が両最外側に配設された非反射性フォトマスク用防塵カバー体である点で一致し・・・」(審決書5頁11~17行)とした一致点の認定は誤りである。

すなわち、MgF/2の屈折率が約1.38であり、そのことが周知であることは認めるが、引用例1には、コーティングの屈折率に関する記載は全くなく、そこには、あくまでも、「MgF2のようなARコーティングが両最外側に施された非反射性フォトマスク用防塵カバー体」が記載されているだけであるから、「屈折率1.42以下の反射防止効果のある最外側反射防止層が両最外側に配設された非反射性フォトマスク用防塵カバー体」は記載されていないものと見なければならない。

被告は、反射防止性能についての光学上の周知事項とMgF2の屈折率1.38が周知であったことを強調するが、被告が根拠とする「レーザーハンドブック」自体の中に、「なお、光学薄膜の品質としては光学的な特性ばかりでなく、基板に対する付着性、硬さ、耐湿性および安定性なども重要である.」(乙第1号証の3、408頁左欄7~9行)と記載されているとおり、膜の反射防止性能は、屈折率と光学的膜厚の両者のみで決定されるわけではない。

審決は、本願第1発明と引用例発明1との間に見られる、屈折率への着目の有無というこの重大な差異を看過したまま、一致点の認定をしたため、これについての判断をせずに結論に至ったものであり、この誤りが審決の結論に影響することは明らかである。

2  取消事由2(相違点(1)についての判断の誤り)

審決は、上記のように引用例1にニトロセルロース膜の芯部に屈折率1.42以下の反射防止効果のある最外側反射防止層が両最外側に配設されたフォトマスク用防塵カバー体が記載されていると誤認したうえ、引用例2には、「屈折率1.40程度のシリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術が記載されており」(審決書6頁15~17行)と誤って認定し、これを前提として、「引用例1に記載の反射防止層としてMgF2に代えて同程度の屈折率を有するシリコンポリマー、弗素系ポリマーを採用することに格別な困難性はなく」(同7頁2~5行)と判断したものであって、誤りである。

(1)  引用例2の発明(以下「引用例発明2」という。)は、「透明基材の表面の少なくとも一部に、2層からなるそれぞれが液状で塗布され、乾燥およびまたは硬化によつて得られる反射防止膜」に関し、その第1層(基材側の層)が、これと接する基材及び第2層(第1層の上に設けられた層)のいずれよりも高い屈折率を有すること、第1層及び第2層の膜厚が、その特許請求の範囲に記載された式で規定される範囲内であることを要件とするものである。

すなわち、第2層の要件とされているのは、屈折率が第1層のそれより低いことと、膜厚が所定の式で規定される範囲にあることだけであり、その式によれば屈折率と膜厚の積が一定範囲にあるから、膜厚が大きくなれば屈折率は小さくてよく、膜厚が小さくなれば屈折率は大きくなり、結局、ここでは、第2層の屈折率の値は特に制限されていないことになる。

そして、引用例2には、第1層として用いることのできる材料として、多数のものが例示され(甲第4号証8欄9行~12欄5行)、それに続いて、第2層として用いられる材料につき、「一方第2層として用いられる材料としては上記の有機材料および/または無機化合物のうち相対的に第1層より低い屈折率の被膜を形成するものが用いられ、好ましい例としては・・・」として、以下好ましい材料を多数例示し(同12欄6~20行)、これにつき、「上記の第1層または第2層に用いられる各種材料は、1種または2種以上を透明性を低下させない範囲で併用することができる。」(同13欄1~3行)と記載されている。

この記載からすれば、第2層の材料は、第1層として用いられるものであってもよいことは明らかであり、第1層及び第2層のそれぞれの材料として挙げられているものすべてを含むことになる。

そうとすれば、引用例2に接する当業者が第2層の材料になりうるものとして挙げられている上記多数のものの中のいずれかに特に着目することはありえないというべきであるから、たとい第2層の材料として用いられるものの好ましい例の中に「フッ素置換された各種ポリマ」及び「シリコン系ポリマ」の語が存し、本願第1発明の「弗素系ポリマー」及び「シリコンポリマー」がこれらに該当するとしても、それによりそこに「シリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術」が記載されていると認定することはできないものといわなければならない。

(2)  さらに、審決は、引用例2の実施例11につき、「屈折率1.50の基材層の上に、反射防止膜としての屈折率1.40のシリコン系ポリマよりなる第2層を、膜厚80nmでスピンコートする点が記載されている。」(審決書4頁20行~5頁3行)と認定し、これを、引用例2に「屈折率1.40程度のシリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術」が記載されているとの上記認定の根拠の一つにしているが、実施例11についての上記認定は、以下のとおり誤りである。

実施例11の第2層のコーティング組成物の原料は、シリコンポリマーであるシラン加水分解物だけではなく、このほか、エポキシ樹脂、コロイド状シリカ及びアルミニウムアセチルアセトネートを含有するものであり(甲第4号証34欄3~13行)、これらの物質はいずれも反射防止性を付与する物質であって、かっ、一般にこれら無機系微粒子は有機材料より高屈折率である(同9欄3~6行)。

上記シラン加水分解物は、エポシキ樹脂と反応することは当然に予測されるところであって、コーティング組成物を加熱硬化させたとされている(同35欄1~3行)のはこのことを意味すると解され、さらに、加水分解反応で用いた塩酸が随伴しているので、コロイド状シリカと反応することも全く予想できないことではないから、実施例11の第2層を単純にその原料の混合物であるとすることはできない。

さらに、仮に、実施例11の第2層を単純にその原料の混合物であるとすることができるとしても、その混合物の屈折率が、混合各成分の屈折率の割合的平均値となる証拠もない。

これらのことは、実施例11の場合と同様にシリコンポリマーであるシラン加水分解物を第2層の原料に用いた実施例3、5及び9を見れば明らかである。

すなわち、ほぼシラン加水分解物のみを第2層の原料とする実施例3の第2層の屈折率は1.48であるのに、それにシリカ(屈折率は1.45、乙第1号証の3、407頁)を加えたものを原料とする実施例5では、屈折率は1.43に低下して、シラン加水分解物、シリカのいずれの屈折率よりも低くなっており、同じくシラン加水分解物にシリカの加えられた実施例9においても第2局の屈折率は1.43であり、さらに実施例11では、シラン加水分解物にシリカとエポキシ樹脂(屈折率は1.60、甲第6号証532頁)が加えられて、1.40となっており、これらの事実は、実施例11においても、その第2層の屈折率1.40が混合各成分の屈折率の平均的なものであると解することはできないことを物語っているのである。

以上のとおりであるから、実施例11の第2層の屈折率1.40がシリコン系ポリマに基づくとするのは速断にすぎ、ここで用いられているシリコン系ポリマの屈折率が1.40であるとするのは、誤りといわなければならない。

(3)  仮に、引用例2についての審決の認定が正しいとしても、引用例1と同2とでは、そこに記載された発明の属する技術分野が異なり、両者を併せ考えるべき要素は存在しないから、後者の第2層の材料として記載されたものを、前者のMgF2に代えて採用することは容易であるとする審決の判断は、前提において既に誤っているものといわなければならない。

すなわち、引用例発明1は、ペリクル膜の反射防止装置に係り、波長範囲350~450nm(甲第3号証訳文3頁第5図、甲第2号証の1、3欄16~17行)、特に436nmの波長の光を対象とするものであるに対し、引用例発明2は、眼鏡用レンズやルッキンググラス等のガラス面の反射防止を目的とするものであるから、反射防止すべき光は可視光線(通常780~380nm)全般にわたっており、両者の反射防止すべき波長範囲は異なっている。

また、引用例発明2において、被覆の対象となるべき透明基体は、「ガラス、プラスチック物品などの成形物、シート、フイルムなど」(甲第4号証6欄4~5行)であり、多種類のプラスチック材料が列挙されているが、それらプラスチック材料はいずれも合成樹脂であって、そこには、引用例発明1及び本願第1発明における透明基体であるニトロセルロースの語はもちろん、繊維素系誘導体の語も見られない。

さらに、引用例発明2は、反射防止層の材料を液状で塗布することを要件とするものであるから、塗布に当たり、透明基材が、反射防止層の材料が溶解あるいは分散されている溶媒あるいは分散液により受ける影響の有無及びその意味を考慮に入れなければならないところ、ニトロセルロースは、上記のような合成樹脂と比べて、溶媒特に水に対する親和性がはるかに高い。

特に、引用例発明1や本願第1発明におけるように、腹厚が薄い透明基体においては、表面にわずかの変性が起こっても膜全体に対するその影響が大きくなるから、溶媒に対する親和性は、それを被覆する材料及び被覆条件の選定における重要な要素となるのであり、これを無視して、引用例発明1に同2を採用することが容易であるとすることはできない。

この点につき、被告は、使用する溶媒の選択の問題にすぎない旨主張するが、失当である。

すなわち、引用例1が、コーティングの困難性、透過率の改良度の低さ、コストの増大、コーティングの膜の劣化を問題点として挙げていることは、前述のとおりであり、引用例2でも同旨の問題点が挙げられ(甲第4号証3欄9行~4欄5行)、「レーザーハンドブック」に、「なお、光学薄膜の品質としては光学的な特性ばかりでなく、基板に対する付着性、硬さ、耐湿性および安定性なども重要である.これらの特性値を定量化し、品質を改善するための努力は現在も続けられている.」(乙第1号証の3、408頁左欄7~11行)と記載されていることからも明らかなように、ペリクル膜の品質は、ペリクル膜、コーティング材、コーティング技術のすべてに関連することであり、使用する溶媒を選択すればよいといえるほどに単純な問題ではないのである。

さらに、引用例発明1や本願第1発明は、レチクル用防塵カバー体に関するものであり、本願明細書に「かゝる防塵カバー体に用いる膜は、マスクの画像を歪みなく結像させる為、厚みの均一性、ゴミ、キズ等の無いことが必要である・・・」(甲第2号証の1、3欄3~5行)と記載されていることからも理解できるように、最外側反射防止層についても、均一性が求められ、ごみやきずのないことが要請されるのに対し、引用例発明2は、眼鏡用ガラスやルッキンググラスを通して物を見る場合を問題とする技術であるから、物が判然として見えるかどうかだけが問題であり、生産物の品質や生産性に与える影響を考えに入れる必要はなく、しかも、人が物を見る際には、視覚以外の判断能力も作用し、ゴミ等は容易に拭い取ることも可能であるから、レチクル用防塵カバー体において要求されるほどのものが要求されることはない。

そうとすれば、引用例2には、引用例発明1や本願第1発明におけるように薄いニトロセルロースを透明基体とする技術は開示されていないものといわなければならず、いずれにしても、審決の上記判断は誤りである。

3  取消事由3(予測できない効果の看過)

審決は、本願第1発明の効果につき、「上記引用例1、2記載の発明から容易に予測できる程度のものであり、格別顕著なものとは認められない。」(審決書9頁2~4行)と判断したが、誤りである。

(1)  レチクル防塵カバー体の光線透過率は、本願明細書に記載したとおり、ニトロセルロース膜単独の場合(比較例1)は平均92%である(甲第2号証の1、9欄38~42行)のに対し、本願第1発明によれば、フッ素系ポリマを用いた場合(実施例1)、400nm付近で96.5~99.5%(平均98%)であり(同9欄37~38行)、シリコーンポリマを使用した場合(実施例2)、350~450nmで93.5~99.8%(同10欄6~7行)であり、ともに改善されている。

本願第1発明によった場合、2層被覆の例であるが、波長436nmにつき、光線透過率は、平均約99%、あるいはそれ以上であり(同11欄第1表)、これを、引用例1に記載された改良の度合い数%、引用例2で最大の数値を示している実施例8の98.1%に比べれば、これが引用例1、同2から予測することの困難なものであることは、明らかというべきである。

被告は、波長436nmにおける透過率をもって本願第1発明の効果とすることはできない旨主張するが、これはペリクル膜の用法を無視した見解である。

すなわち、LSIの画像形成においては、ウエハ上の微細なパターンの像を結ぶ必要があり、本願明細書に説明されているように(同3欄25~27行)、ステッパー用防塵カバー体(ペリクル膜)では波長436nmの紫外線を透過させる必要があり、波長436nmには特別の意味があるのである。

被告は、また、引用例2の実施例8の光線透過率98.1%は全光線透過率であるから、これと特定の波長の光線の透過率である本願第1発明のものを対比するのは誤りである旨主張するが、本願第1発明は特定の範囲の波長のみの反射防止を目的とするのに対し、引用例発明2は全可視光線の反射防止を目的とするものであり、ともに、目的とする反射防止が実現できるか否かが問題なのであるから、両者を比較することは不当ではない。

引用例2の実施例8は2層コーティングであり、本願第1発明の実施例1、同3は単層コーティングであるから、層数の異なるこれら同士を対比すべきであるとする被告主張は失当である。

(2)  本願第1発明のペリクル膜は、本願明細書に、「しかもその性能が安定して維持することができる」(甲第2号証の1、8欄44行~9欄1行)と記載されているとおり、安定性に優れている。

本願第1発明のペリクル膜が安定性に優れていることは、本願第1発明の発明者の一人である福光保典作成の実験報告書(甲第9号証。以下「本件報告書」という。)によって裏付けられている。

すなわち、これによれば、光線透過率は、本願第1発明のペリクル膜においては、製造初期の99.7%(試料〈2〉)が、これを暗所に室温で5年10箇月保管した後も99%(試料〈3〉)までしか低下せず、また、加速寿命試験(紫外線26mw/cm2、110、170、521時間照射)においても低下は見られないのに対し、本願出願当時市場で入手可能であった、米国タウ・ラボラトリーズ・インコーボレーテッド(以下、「TAU社」という。)のペリクル膜においては、入手時には99.5%であったものが、暗所に室温で11箇月保管した後は、97.5%まで低下している。

これに対し、引用例発明1のMgF2をコーティングしたものに安定した効果を期待することができないことは前述したとおりであり、また、引用例発明2に示された効果をニトロセルロースの薄膜について期待することができないことも前述したとおりであるから、本願第1発明の上記効果は、引用例発明1、2から容易に予測できる範囲を超えたものといわなければならない。

このような本願第1発明の優れた効果を看過した審決の判断が誤りであることは、明らかである。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

(1)  引用例1において、薄いペリクルの両面にMgF2のような物質を用いてARコーティングを施す従来技術の欠点が指摘され、ARコーティングによらないでペリクルの膜厚の選択によるという別の解決法が教示されていることは、原告主張のとおりであるが、そのことは、ARコーティングの材料としてMgF2のような物質を使用した従来のコーティング方法には欠点があり、それを避ける一つの方法としてペリクルの膜厚の選択があることを示すだけで、薄いペリクルの両面にMgF2のような物質を用いてARコーティングを施すことにより波長全体にわたる透過率及び干渉効果を改良するという技術思想が明確に示されていることは、疑いようのないことである。

この記載は、従来のコーティング方法がおよそ使用できないことまで、まして、すべてのARコーティングが使用できないことまで示すものではなく、むしろ、好ましいARコーティングの選択あるいは新しいコーティング方法の開発により従来のコーティング方法を改善してその欠点を除去するという、引用例1の採用したものとは異なる解決法の発見という技術課題をも提示するものといわなければならない。

(2)  引用例1には、屈折率の数値が挙げられていないことは認める。

しかし、反射防止層の反射防止性能は、その屈折率と光学的膜厚の両者によって決定されることは周知の事項(昭和57年12月15日発行「レーザーハンドブック」乙第1号証の3、409頁右欄13~43行参照)であるから、反射防止層について議論する場合、その屈折率に関心が寄せられないなどということはありえないことである。そしてまた、MgF2の屈折率が1.38であることが周知であることは原告も認めるとおりである。

そうとすれば、引用例1に接する当業者が、MgF2のARコーティングを施すとの記載から、屈折率1.38を持つMgF2のARコーティングを施すという技術を読み取るのは当然のことといわなければならない。

2  取消事由2について

(1)  引用例2には、本願第1発明の最外側反射防止層に相当する第2層の材料の好ましい例として、「フッ素置換された各種ポリマ」、「シリコーン系ポリマ」が明記され、実施例としても、シリコンポリマーである各種シラン加水分解物を第2層の主たる材料としたものが、実施例1(甲第4号証17欄7~13行)、同3(同22欄5~9行)、同5(同24欄3~9行)、同9(同29欄10~15行)、同11(同33欄16行~34欄2行)に記載されている。

上記「フッ素置換された各種ポリマ」、「シリコーン系ポリマ」が、本願第1発明における「弗素系ポリマー」及び「シリコンポリマー」に該当することは明らかである。

そうとすれば、引用例2に、「シリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術が開示されている」とした点において、審決の認定には何の誤りもない。

屈折率については、先に指摘したとおり、反射防止層の反射防止性能を決定するのは、層を形成する材料の諸性質のうち、屈折率及び光学的膜厚(屈折率と膜厚との積)という光学的性質のみであってそれ以外ではなく、屈折率と膜厚が同じであればその他の性質のいかんにかかわらず同一の反射防止性能が得られることは、本願出願前周知であったのであるから、反射防止層の材料として同じくフッ素置換された各種ポリマ、シリコーン系ポリマが用いられるときにも、被覆される透明基体などとの関係において定まる理想的な屈折率に可能な限り近いものをその中から選択することは、当然のことであり、当業者として容易になしえたことといわなければならない。

ニトロセルロース膜の屈折率が約1.5であることは周知であり(甲第3号証訳文3頁35行、甲第5号証51頁)、屈折率約1.5の基体に設けるべき単層の反射防止層の光学上の最適屈折率を周知の関係式(乙第1号証の3、409頁右欄22・13の式)によって求めると、約1.22となるから、本願第1発明の規定した「屈折率1.42以下」の要件は、この最適屈折率を含み、この最適屈折率から離れる許容範囲を1.42以下までと規定する以上の意味は持たない。

しかも、この屈折率「1.42」が臨界的意義を有するものとは解されないので、本願第1発明の「屈折率1.42以下」の規定は、結局、実用上使用できる範囲の限度の単なる目安を提供するだけの意味しかないことにならざるをえないのである。

(2)  引用例2の実施例11の第2層のコーティング組成物は、シラン加水分解物15.4g、エポキシ樹脂2.2g、メタノール分散コロイド状シリカ30.1g(実施例1で使用したものと同じものであり、実施例1によると固形分の含有割合は30%であるので、固形分は9.03gとなる。)及びアルミニウムアセテネート0.9gを含有するものであるから(甲第4号証34欄3~13行、同16欄末行~17欄4行)、その主成分はシラン加水分解物であり、その屈折率1.40は主にシラン加水分解物に基づくものということができ、したがって、同引用例にいうシリコーンポリマの中に屈折率1.40程度のものが含まれているとして何ら差し支えない。

仮に、このように確定することができないとしても、実施例11において、原告も認めるとおり、一般に有機材料より高屈折率であるとされている無機系微粒子に属するコロイド状シリカ等を含有する組成物からなる第2層の屈折率が1.40であったのであるから、上記主成分であるシラン加水分解物の屈折率は、むしろ1.40より低いものと理解され、それ以上と理解されることはないのであり、上記事実は、屈折率に関する要件を1.42以下とする本願第1発明の容易推考性を検討するうえにおいて、格別の意味を持ちえない。

原告は、上記混合された各成分は反応するから、実施例11の第2層の組成を単純にそれらが混合したものとすることはできないと主張するが、失当である。

シラン加水分解物とエポキシ樹脂は反応するが、反応によって生成するポリマはシロキサン結合を含む重合体すなわちシリコーンポリマであることに変わりはなく、その際エポキシ樹脂の一部がシラン加水分解物との反応に関与しない可能性もあるが、それはわずかのものである。

仮に、シラン加水分解物を生成するための加水分解反応で用いた塩酸が随伴していることにより、コロイド状シリカと反応したとしても、随伴する塩酸の量は極小であるから、反応はシリコーンポリマの性質に影響を与えるほどのものではない。また、反応の生ずるのはコロイド状シリカの表面のみであるから、第2層は、シリコーンポリマの中にコロイド状シリカが分散されている状態といってよいものであり、引用例2で、それから形成された被膜が屈折率に関する要件を満たすものであり、かつ、それ自身ないしはそれが溶媒に分散又は溶解して液状物質を形成するものであれば、有機材料中に無機系微粒子を分散させたものも分散させないものも、ともに利用できるとされていることは、同引用例中の同旨の記載(甲第4号証7欄19行~8欄8行)により明らかであるから、上記コロイド状シリカの分散は大きな意味を有するものではない。

以上のとおりであるから、引用例2の実施例11についての原告の主張は、理由がない。

(3)  原告は、引用例発明2は眼鏡用レンズやルッキンググラスの反射防止を目的とするものであり、反射防止の対象となる光の波長、透明基体の材料において基本的に異なり、それと引用例発明1や本願第1発明との間には技術分野の相違がある旨主張するが、失当である。

引用例2には、引用例発明2の適用範囲が、眼鏡用レンズやルッキンググラスにとどまらず、シートやフィルムなどの薄膜材料にも及ぶものであることが明記されている(甲第4号証6欄4~6行)。

反射防止すべき波長の範囲は、反射防止の図られる物品の使用目的に応じておのずと決まるものであり、物品の使用目的によりその使用波長範囲が定まれば、それに応じて反射防止膜の膜厚を調節するなどして反射防止膜の性能を最適のものにすることができることは、前記周知事項の下では当業者にとって自明のことである。したがって、原告主張のように引用例発明2で反射防止の図られている光を可視光線(通常780~380nm)の全波長の光であると、限定的にとらえるべき理由はない。

原告主張のとおり、ニトロセルロースは引用例2に例示された材料である合成樹脂と比べて溶媒特に水に対する親和性が高いことは認めるが、そのことによって、引用例発明2のニトロセルロースへの適用が妨げられるものではない。すなわち、引用例2に、「これらの組成物は通常揮発性溶媒に希釈して塗布される。溶媒として用いられるものは、とくに限定されないが、使用にあたつては組成物の安定性、透明基材に対するぬれ性、揮発性などを考慮して決められるべきである。また溶媒は1種のみならず2種以上の混合物として用いることも可能である。」(同13欄4~10行)と記載されていることからも明らかなように、溶媒の選択は、反射防止膜組成物及び透明基材に及ぼす影響を考慮してすべきであることは、当業者にとって自明のことである以上、塗布に当たり透明基材に影響を与えない溶媒を選択すればよいだけのことであるからである。

3  取消事由3について

原告が本願第1発明の効果と主張するものは、引用例発明1、2から当然に予測できる範囲のものにすぎない。

(1)  引用例2では、無機物質を真空蒸着法でコーティングした反射防止膜の欠点が指摘されている(甲第4号証3欄9行~4欄5行)が、同時に、実質的にシリコーンポリマであるシリコーン系ポリマで反射防止膜を形成してこれらの欠点を回避することが記載されているのであるから、引用例発明2にならって反射防止層をシリコーンポリマで形成すれば、MgF2のような無機物質で形成した場合よりは、安定性の優れたものが得られることは、同引用例の記載から容易に予測できることである。

そうとすれば、原告が本願第1発明の効果として主張する安定性の良さをもって、その特許性の根拠とすることはできない。

なお、本件報告書(甲第9号証)は、それ自体でみても、本願第1発明の効果を証するものとはいえない。

このことは、そこで本願第1発明によるとされる試料〈1〉~〈4〉は、いずれも、中間反射防止層を有し、かつ、その中間反射防止層は、いずれも、0.05~0.5μmの範囲の厚み及び1.57以上の屈折率を有することからして、本願特許請求の範囲第2項に記載された中間反射防止層を有する発明(甲第2号証の2、手続補正書の特許請求の範囲参照)に係るものであって、これを本願第1発明に係るものとすることはできないこと、実験結果として、紫外線照射をしていない試料〈2〉より、紫外線照射をした試料〈4〉の方が光線透過率が高いという、常識からは理解し難い結果が記載されていて、その内容の正確性に疑問があること、本件報告書では、各試料、特に比較対象である試料〈5〉、〈6〉の客体、実験条件が不明確であることなどに照らして、明らかである。

(2)  光線透過率に関して、原告が挙げる本願明細書第1表(甲第2号証の1、11欄)が、中間反射防止層を有する特定の実施例についてのものであることは、原告も認めるとおりであり、このような特定の実施例の効果をもって、本願第1発明全体の効果とすることはできない。

同表中の光線透過率は、「436nm」という特定の波長に関するものであって、本願第1発明が問題とする「350~450nm」の波長領域全体におけるものではなく、光線透過率は、例えば本願明細書第6図(甲第2号証の1、7頁)に示されているように、通常ある幅の中で変化するものであるから、特定の一つの波長についての透過率をもって本願第1発明の効果とすることはできない。

原告指摘の引用例2の実施例8の透過率98.1%は、「全光線透過率」(甲第4号証28欄15行)として示されているから、特定の一つの波長についての上記透過率をこれと比較するのは、技術的意義の異なる数値を同列においてその優劣を論じようとするものであり、比較の仕方として間違っている。上記98.1%と比較するのであれば、むしろ、本願明細書に記載された実施例1における400nm付近における平均透過率98%(甲第2号証の1、9欄37~38行)及び実施例3における350~450nm間の平均透過率96%(同10欄16~17行)という数値でなければならず、これによるときは、本願第1発明の透過率は引用例2の実施例8のものより劣っていることが明らかである。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。)。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点の認定の誤り)について

(1)  引用例1に、本願第1発明の非反射性フォトマスク・レチクル用防塵カバー体に該当するペリクルのニトロセルロース薄膜にMgF2のような物質で反射防止膜を設ける技術につき、原告引用の記載部分(甲第3号証訳文4頁下から4行~5頁2行)があることは、当事者間に争いがない。

上記記載部分には、波長全体にわたり透過率と干渉効果を改良するために既に行われている技術として、MgF2のようなAR(抗反射性)コーティングを使う技術が紹介され、これについて、この技術には多くの欠点があることが指摘され、ペリクルの膜厚の選択という別の技術を採用すべきことが推奨されているが、ARコーティングを使う技術が使用できないことまでを述べたものではないことは明らかである。

本願明細書にも、ニトロセルロース薄膜を防塵カバー体として用いる場合に、反射光を減少させて光の透過率を上昇させる従来技術として、「ニトロセルロース薄膜をある特定の厚みとする」技術とともに、「ニトロセルロース薄膜に、MgF2、Al2O3、ZrO2等の無機物質を真空蒸着等の手段でコートすることにより、反射波を相殺させる方法」が示されている(甲第2号証の1、3欄14行~4欄2行)ことからしても、この両方法が反射光を減少させる方法としていずれも採用できる技術であることは、当業者が十分認識していたことと認められ、引用例1の上記記載をもって、原告主張のように、これに接する当業者がニトロセルロース薄膜の両面にMgF2のような膜を配設し反射防止を図る技術を用いようと考えることはありえないということはできない。

引用例1に、審決認定の技術が開示されていることは明らかといわなければならない。

(2)  昭和57年12月15日発行の「レーザーハンドブック」中の「反射防止コーティング」についての説明の記載(乙第1号証の3、409頁右欄13~410頁左欄22行)によれば、コーティングされた反射防止膜においてそれが有する反射防止効果の大きさ自体(光学上の反射防止効果)を決定する要素はその光学的膜厚(屈折率と膜厚の積)及び屈折率であって、これらが同じであれば膜の材料が何であるかにより違いは生じないこと、光学上最適の光学的膜厚(屈折率と膜厚の積)は、反射防止すべき波長との関係において計算により決定され、同様に、光学上最適の屈折率は、反射防止すべき光学部分(透明基体)の屈折率との関係において計算により決定されること、しかし、実用的には、反射防止膜となる材料からの制約により、光学上最適の屈折率の反射防止膜を得ることは困難であることは、本願出願前周知の事項であると認めることができる。

上掲「レーザーハンドブック」中の原告指摘の記載(同408頁左欄7~9行)が上記認定と矛盾するものではないことは、その文言と文脈に照らして明らかである。

このように、反射防止膜の反射防止効果の大きさを決定するうえで、その屈折率と光学的膜厚が基礎的要素となることが周知の事実であることからすれば、当業者が、透明基体の反射防止を図るために、その反射防止膜の材料を検討するに当たり、候補となる物質の屈折率を無視することは許されず、これに関心を寄せないことはありえないことといわなければならない。

そうとすると、引用例1には、施されるコーティングの屈折率に関する記載が全くないにせよ、MgF2の屈折率が約1.38であることが周知であることにつき当事者間に争いがない以上、引用例1に接する当業者が、MgF2のようなARコーティングを施すとの記載から、屈折率約1.38を持つMgF2のARコーティングを施す技術を読み取ることは当然のことと認められる。

したがって、審決が、本願第1発明と引用例発明1とは「屈折率1.42以下の反射防止効果のある最外側反射防止膜が両最外側に配設された非反射性フォトマスク用防塵カバー体である点で一致」すうとした点に誤りはない。

原告主張の取消事由1は理由がない。

2  同2(相違点(1)についての判断の誤り)について

(1)  引用例2(甲第4号証)に、第2層として用いられる材料について、「好ましい例としては有機材料としては芳香環を含まないアクリル系を含むビニル系共重合体、フツ素置換された各種ポリマ、芳香環を含まないポリエステル(アルキドを含む)系重合体、繊維素系誘導体、シリコーン系ポリマ、炭化水素系ポリマないしはこれらのプレポリマまたはこれらのうち硬化性官能基を有するものと硬化剤から成る組成物がある。」(同12欄9~16行)と記載されていること自体については、当事者間に争いかない。

引用例2には、第2層の材料となりうるものとして多種多様の物質が挙げられていることは原告主張のとおりであるが、上記のように、第2層として用いられる材料の好ましい有機材料の例として、「フッ素置換された各種ポリマ」、「シリコーン系ポリマ」が具体的に明示され、これらがそれぞれ、本願第1発明の「弗素系ポリマー」、「シリコンポリマー」に該当することは、原告も争わないところであるから、審決が、引用例2に、「シリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術が開示されている」と認定した点に誤りのないことは、明らかといわなければならない。

(2)  原告は、引用例2に「屈折率1.40程度のシリコンポリマー、弗素系ポリマー」が開示されているとした審決の認定は誤りであり、これを前提として、審決が、「引用例1に記載の反射防止層としてMgF2に代えて同程度の屈折率を有するシリコンポリマー、弗素系ポリマーを採用することに格別な困難性はなく」(審決書7頁2~5行)と判断したことを論難する。

しかし、コーティングされた反射防止膜においてそれが有する反射防止効果の大きさ自体を決定する要素はその光学的膜厚(屈折率と膜厚の積)及び屈折率であってこれらが同じであれば膜の材料が何であるかにより違いは生じないこと、光学上最適の屈折率は、反射防止すべき光学部分(透明基体)の屈折率との関係において計算により必然的に決定されることが本願出願前周知の事項であることは、既に述べたとおりである。

上記周知事項の下では、反射防止層の材料の選択に当たり、コーティングの容易さやできた膜の強さなどの、実用上避けて通ることのできない他の選択要素によって定められる条件が許す範囲内で、反射を防止すべき透明基体及び反射を防止すべき波長との関係においてなるべく光学上最適なものに近い屈折率のものを選択することは、当業者として当然なすべきことといわなければならず、そうとすれば、引用例2の開示を参考に反射防止層の材料としてシリコンポリマー、弗素系ポリマーを採用するときにも、上記の意味でなるべく最適なものに近い屈折率のものを選択することは、当業者として容易になしえたことといわなければならない。

そして、ニトロセルロース膜の屈折率は約1.5であることは周知の事実と認められ(甲第3号証訳文3頁35行、甲第5号証51頁)、屈折率約1.5の基体に設けるべき単層の反射防止層の最適屈折率を前掲「レーザーハンドブック」記載の関係式(22・13)(乙第1号証の3、409頁)によって求めると約1.22となり、このことも当業者に周知の事項というべきであるから、この最適屈折率約1.22を目標にし、また、当事者間に争いがない引用例2の実施例11に、屈折率1.50の透明基体の上に、反射防止膜として屈折率1.40の第2層を設けるものが記載されていること、昭和58年3月15日発行の「エンジニアリングプラスチックス=その解説と物性表=」(乙第2号証の1~4)に記載されていることから本願出願前周知の事実と認められる弗素系ポリマーには屈折率1.338、1.35、1.40のものがあること(乙第2号証の3、286頁表5)をも参考にして、引用例発明1の反射防止層であるMgF2に代えて、屈折率が本願第1発明の規定する「1.42以下」であるシリコンポリマー、弗素系ポリマーを採用することに、格別の困難性はないといわなければならない。

原告は、上記実施例11の第2層に用いられているシリコンポリマーの屈折率が1.40であるとすることはできない旨を詳細に主張するが、上記周知事項からすると、本願第1発明の容易推考性を判断するうえで重要なのは、同実施例11において屈折率1.50の透明基体の上に屈折率1.40の第2層が設けられていること自体であって、その屈折率をもたらした材料が何であるかは重要でないことが明らかである。

(3)  原告は、引用例発明2は眼鏡用レンズやルッキンググラスの反射防止を目的とするものであり、反射防止の対象となる光の波長、透明基体の材料において基本的に異なり、これと引用例発明1や本願第1発明との間には技術的分野に相違があり、引用例発明2の技術を引用例発明1のそれに適用することは、当業者にとって容易でない旨を主張する。

確かに、引用例2(甲第4号証)において、その透明基体の例として挙げられているものの中に、引用例発明1及び本願第1発明における透明基体であるニトロセルロースの語はもちろん、繊維素系誘導体の語もみられないことは、原告主張のとおりと認められる。

しかし、上記両者は、それにより得られた製品としてみた場合には異なる分野のものとはいえ、透明基体上に反射防止膜を被覆してその反射光の減少を図る技術である点においては共通であり、反射光の減少の得られる原理において異なるところがないことは、既に述べたところから明らかであり、引用例2も、広く「反射防止膜を有する透明材料」に係る発明として開示されている以上、技術的には互いに極めて密接な関係にあるものといわなければならず、ニトロセルロース薄膜を用いる非反射性フォトマスク・レチクル用防塵カバー体に関する引用例発明1の改善を図ろうとする当業者にとって、引用例発明2の技術をこれに適用することは、容易なことであると認められる。

このことは、前示のとおり、本願明細書には、ニトロセルロース薄膜を防塵カバー体として用いる場合に、反射光を減少させて光の透過率を上昇させる従来技術として、「ニトロセルロース薄膜をある特定の厚みとする」技術とともに、「ニトロセルロース薄膜に、MgF2、Al2O3、ZrO2等の無機物質を真空蒸着等の手段でコートすることにより、反射波を相殺させる方法」が示されており(甲第2号証の1、3欄14行~4欄2行)、この後者の方法につき、「この方法は、光学レンズ、メガネ等に用いられている方式を適用したものであり、反射防止コートの厚みを変えることにより、任意の波長の光に対し、反射防止をすることが出来、」(同3欄41~末行)として、この方法が光学レンズ、メガネ等に用いられている方式を適用したものである旨を明記していることによっても、裏付けられる。

このように、光学レンズ、メガネ等に用いられている方式を適用し、反射防止コートを設け、その厚みを変えることにより、任意の波長の光に対し、反射防止をすることができることが、従来技術として当業者に認識されていたことからすると、光学レンズ、メガネ等とニトロセルロース薄膜を用いる非反射性フォトマスク・レチクル用防塵カバー体において、反射防止すべき波長の範囲が相違しても、それに応じて、反射防止膜の膜厚を調節して反射防止膜の性能を最適のものとすることができることは、当業者にとって自明のことであるといわなければならない。

また、溶媒との関係で問題となるニトロセルロースの吸水率の高さも、引用例発明1に同2の技術を適用する妨げにはならない。

ニトロセルロースが、引用例2に例示された材料である合成樹脂と比べて溶媒特に水に対する親和性が高いことは当事者間に争いがないが、反射防止膜組成物及び透明基材に及ぼす影響を考慮して最適の溶媒を選択することは、当業者にとって当然になすべき事項であり、このことは、現に引用例2にも、「溶媒として用いられるものは、とくに限定されないが、使用にあたつては組成物の安定性、透明基材に対するぬれ性、揮発性などを考慮して決められるべきである。」(甲第4号証13欄5~8行)と記載されて示されているところであり、また、溶媒の選択は、本願第1発明の要旨として規定されていない事項である。

さらに、最外側反射防止層について求められる均一性、ごみやきずのなさの度合いに両者異なるところがあるとしても、これらが、光の反射や透過率にとり軽視することの許されない重要な要素であることは自明というべきであるから、これらの度合いの相違をもって、引用例発明2の技術を引用例発明1に適用できない理由とすることはできない。

(4)  その他にも、「相違点(1)は引用例2の記載事項から容易になしうることである。」(審決書7頁19~20行)とした審決の判断を誤りとすべき資料は、本件全証拠によっても認めることがきない。

原告主張の取消事由2は理由がない。

3  同3(予測できない効果の看過)について

引用例1に、ニトロセルロースによるペリクルにMgF2のARコーティングを施す引用例発明1につき、透過率において数パーセントの改良が限界である旨が記載されるとともに、コーティングの難しさや膜の劣化という欠点があることも記載されていることは、上述のとおりである。

しかし、引用例2には、引用例発明1と同種と認められる従来技術について、生産性、経済性の低下、基材への悪影響、被覆形成材料が主として無機酸化物であることからくる耐熱性、付着性の低下などの問題点があることを指摘した(甲第4号証3欄9行~4欄5行)うえ、「本発明者らは、これらの問題点を解決するべく鋭意検討した結果、以下に述べる本発明に到達した。」(同4欄6~7行)と述べ、引用例発明2が上記従来技術の問題点を解決したことを明言しているのであるから、引用例発明1に引用例発明2の技術を適用すれば、これらの問題点につき改善がみられるであろうことは、容易に推測できることである。

そうとすれば、本願第1発明の効果として原告の主張する安定性のよさは、引用例発明1あるいはこれと同種の従来技術(本件報告書記載の試料〈5〉、〈6〉)に比べて優れているとしても、これに引用例発明2の技術を適用したことの結果として、十分予測可能のものというべきであり、これをもって、特許性の根拠となる格別の効果とすることはできない。

また、安定性等の問題を離れてみた場合、反射防止性能は、基本的に、透明基体の屈折率並びに反射防止層の光学的膜厚及び屈折率によって定まることが周知であったことは前述のとおりであること、本件報告書においても、初期の光線透過率は、本願第1発明によるとされるものが99.4~99.7%であるのに対し、従来技術によるとされるTAU社のものが99.5%であって両者に差があるとはいえないことに照らすと、本願第1発明の透過率が予測を超えて優れているとはいえないことは、明らかである。

その他、本件全証拠によっても、本願第1発明の効果が引用例発明1に同2を適用した場合に予測される効果に比べ格別顕著なものと認めるべき資料は見出せない。

原告主張の取消事由3は理由がない。

4  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき理疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 芝田俊文)

平成2年審判第1547号

審決

大阪府大阪市北区堂島浜1丁目2番6号

請求人 旭化成工業株式会社

昭和59年特許願第92992号「非反射性フオトマスク・レチクル用防塵カバー体及びその製造方法」拒絶査定に対する審判事件(昭和63年5月12日出願公告、特公昭63-22576)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

Ⅰ、本願は、昭和59年5月11日に出願された特許法第38条ただし書の規定による出願であって、その発明の要旨は、出願公告後の平成2年3月23日付けの手続補正書によって補正された明細書及び図面の記載からみて、特許請求の範囲第1~3項に記載されたとおりの「非反射性フォトマスク・レチクル用防塵カバー体及びその製造方法」にあるものと認められるところ、その第1項に記載された発明(以下、第1発明という。)は次のとおりである。

「少なくとも、厚み1~10μmのニトロセルロース層が芯部をなし、厚み0.05~0.5μmで屈折率が1.42以下で反射防止すべき波長350~450nmの光を吸収・散乱しないシリコンポリマー、弗素系ポリマーの最外側反射防止層が両最外側に配設される多層膜を要部とし、その周囲が支持枠に固着されてなる非反射性フォトマスク・レチクル用防塵カバー体。」

Ⅱ、これに対して、原査定の拒絶の理由である特許異議の決定の理由で引用されたSEMICONDUCTOR INTERNATIONAL (AUGUST1981) p97-106(以下引用例1という。)には、ベリクルというニトロセルロース製の薄膜をフォトマスクの防塵カバー体として用いる点、ベリクルは波長350~450nmを使用露光範囲とし、その厚さとして2.8μm、4.5μm程度のものを用いる点、全体として透過率と減少された干渉効果を改善するためにMgFのような反射防止膜を適用する。が現代れている。そして薄いベリクル膜の面または両面の表面にそのようなコーティングを施すことの困難性のために過性の僅か数の改良が限界である点が記載されている。そして、ベリクル膜の両面の表面にMgFのコーティングを施すことの固難性のために、透過性の僅か数%の改良が限界である点が記載されているが、この記載は、ニトロセルロース薄膜の両面にMgFのような膜を配設し反射防止を計る技術を開示するものと認められる。

してみると引用例1には、フォトマスク防塵カバー体において、波長350~450mmを使用範囲としニトロセルロース薄膜の両面にMgFのような膜を配設し、反射防止を計る技術が記載されているものと認められる。そして、この点については、本願出願人も本願明細書において先行技術として記載していることからも明らかである。

同じく引用された特開昭58-46301号公報(以下引用例2という。)には、透明基材の表面の少なくとも一部に、2層からなるそれぞれが液状で塗布され、乾燥およびまたは硬化によって得られる反射防止膜を有する透明材料が記載されている。

具体的には、透明基材としてはガラス、プラスチック等の成型物、シート、フィルム等を用いる点、最外側に配設される反射防止層としての第2層は、第1層より低い屈折率を有する被膜であり、有機材料としてはフッ素置換された各種ポリマー、シリコーン系ポリマ等を用いる点、各層の塗布方法としてはスピン塗装等が好ましい点が記載され、さらに、実施例11として、屈折率1.50の基材層の上に、反射防止膜としての屈折率1.40のシリコン系ポリマよりなる第2層を、膜厚80nmでスピンコートする点が記載されている。

してみれば、引用例2により、プラスチックフィルム等の透明基材の最外側に、膜厚80nmで屈折率1.40程度のシリコーンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術が開示されているものと認められる。

Ⅲ、そこで、本願第1発明と引用例1記載の発明とを比較検討する。

引用例1記載のMgFの屈折率は約1.38であるから、本願第1発明と引用例1記載の発明は、波長350~450mmを使用範囲とし、ニトロセルロース層の芯部に屈折率1.42以下の反射防止効果のある最外側反射防止層が両最外側に配設された非反射性フォトマスク用防塵カバー体である点で一致し、次の点で相違する。

(1)最外側反射防止層が、本願第1発明においては、厚さ0.05~0.5μmで反射防止すべき波長350~450nmの光を吸収・散乱しないシリコンポリマー、弗素系ポリマーであるのに対し、引用例1記載の発明においては、無機系のMgFであり厚みが特定されていない点。

(2)ニトロセルロース層の芯部に最外側反射防止層が両最外側に配設された多層膜が、本願第1発明においては、その周囲が支持枠に固着されているのに対し、引用例1記載の発明においては、この点について何も触れられていない点。

(3)ニトロセルロース層芯部の厚みが、本願第1発明においては、1~10μmと規定されているのに対し、引用例1記載の発明においては、2.8μm、4.5μm程度のものが用いられている点。

相違点(1)について検討すると、引用例2には、ガラス、プラスチック物品などの成型物、シート、フィルム等に膜厚80nmで屈折率1.40程度のシリコンポリマー、弗素系ポリマーを配設して、反射防止層とする技術が記載されており、該記載から、反射防止層はガラス以外の薄いものにも使用できるものであると解され、特にニトロセルロース薄膜面の反射防止層として使用できない特段の理由もなく、しかも屈折率1.40程度のものが記載されているから、引用例1に記載の反射防止層としてMgFに代えて同程度の屈折率を有するシリコンポリマー、弗素系ポリマーを採用することに格別な困難性はなく、まだ反射防止層の厚さは使用波長、屈折率との関係から定まることであり、しかも膜厚さ80nmのものが引用例2に用いられているから、本願発明の膜厚は80nmを包含する点で引用例2記載のものと差異があるものとすることはできない。

そして、波長350~450nmの光を吸収、散乱しないシリコンポリマー、弗素系ポリマーとすることも、引用例1に記載されたとおり、フォトマスクの防塵カバー体は波長350~450nmを使用露光範囲とするものであるから、波長350~450nmの光を吸収・散乱しないという条件は透明基体の最外側に反射防止層として配設される層に当然に要求される条件である。

したがって相違点(1)は引用例2の記載事項から容易になしうることである。

相違点(2)について検討すると、ニトロセルロース等の薄膜材料で形成されたフォトマスクの防塵カバー体(バターンマスクのカバー)は、スベーサリングを有し、マウントリングに張られ接着される、すなわち、その周囲が支持枠に固着されて使用されることは普通に知られており(必要ならば、特公昭54-28716号公報参照。)、また、多層膜自体も、それのみでは自立性のないものであって、何らかの支持固定手段を必要とするものであるから、引用例1記載の発明において、多層膜の周囲を支持枠に固着することは当業者が適宜なしえたことと認められる。

相違点(3)について検討すると、引用例1に記載のニトロセルロース薄膜の厚さは2.8μm、4.5μm程度のものであり、これは本願第1発明の1~10μmに含まれるから、本願第1発明は2.8μm、4.5μmを包含する点で引用例1記載のものと差異があるものとすることはできない。

Ⅳ、また、本願第1発明の、透過すべき波長の光を吸収、散乱しないで効率的に透過せしめることができ、しかもその性能を安定して維持することができる等の明細書記載の効果は、上記引用例1、2記載の発明から容易に予測できる程度のものであり、格別顕著なものとは認められない。

Ⅴ、したがって、本願第1発明は、引用例1、2に記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成2年12月5日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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